写真が開発される以前の日本では、浮世絵が唯一のビジアルメディアだった。
今では立派な美術品あつかいだが、そもそも浮世絵は、複製を多部数することを前提にして、成り立つ情報媒体であり、ウケけることなら何でもやる、テレビのバライティーばりのノリが身上なのだ。
色彩、構図、描写線等の、芸術的評価は、こうせいの人間のお節介というもの。当時は、世間の評判を得て、一気にたくさん売って、勝ち逃げするのが、最高の栄誉だった。
政治風刺から、天災、事件、事故、芸術情報、きわどいスキャンドルまで俎上(ソジョウ訳:まな板)に載せ、エンターテイメントとして組み立て、鮮やかに魅せる。
粋で、お洒落で、贅沢な、プロ集団のお手並みが、存分に発揮される。
絵画として見てしまうと、絵師の名ばかり云々されるが、実際は共同作業の工房だ。ポロデューサーである版元を核に、絵師、彫り師、刷り師がヒットを狙って画策する。
浮世絵は「江戸錦絵」と呼ばれ、江戸の特産品であった。重くなく嵩ばらず、故郷への土産にうてつけだ。いま江戸で何が流行っているのかが、人目でわかるから、帰郷の際の話にも花が咲く。人気スターやアイドルのファッション、話題のスポット、噂の数々がてんこもりに詰まっている。ただしプロマイドと違い、それは愛蔵され、長く記憶を反・・させた。繰り返し再生されるヴデオのように、作品として確立していたのだ。すっぱ抜きスクープの生硬さとは比較にならない、成熟したメディアだ。
杉浦日向「隠居の日向ぼっこ」より
0 件のコメント:
コメントを投稿