2007年6月17日日曜日

浮世絵



写真が開発される以前の日本では、浮世絵が唯一のビジアルメディアだった。


今では立派な美術品あつかいだが、そもそも浮世絵は、複製を多部数することを前提にして、成り立つ情報媒体であり、ウケけることなら何でもやる、テレビのバライティーばりのノリが身上なのだ。


色彩、構図、描写線等の、芸術的評価は、こうせいの人間のお節介というもの。当時は、世間の評判を得て、一気にたくさん売って、勝ち逃げするのが、最高の栄誉だった。


政治風刺から、天災、事件、事故、芸術情報、きわどいスキャンドルまで俎上(ソジョウ訳:まな板)に載せ、エンターテイメントとして組み立て、鮮やかに魅せる。


粋で、お洒落で、贅沢な、プロ集団のお手並みが、存分に発揮される。


絵画として見てしまうと、絵師の名ばかり云々されるが、実際は共同作業の工房だ。ポロデューサーである版元を核に、絵師、彫り師、刷り師がヒットを狙って画策する。


浮世絵は「江戸錦絵」と呼ばれ、江戸の特産品であった。重くなく嵩ばらず、故郷への土産にうてつけだ。いま江戸で何が流行っているのかが、人目でわかるから、帰郷の際の話にも花が咲く。人気スターやアイドルのファッション、話題のスポット、噂の数々がてんこもりに詰まっている。ただしプロマイドと違い、それは愛蔵され、長く記憶を反・・させた。繰り返し再生されるヴデオのように、作品として確立していたのだ。すっぱ抜きスクープの生硬さとは比較にならない、成熟したメディアだ。


杉浦日向「隠居の日向ぼっこ」より

2007年6月16日土曜日

2007/5/26 神戸新聞のコラムより

先日亡くなった元経団連会長の平岩外四さんは財界きっての読書家だった。演出家の浅利慶太さんとの対談で、こんなやりとりをしている。「書籍はどれぐらいお持ちですか」「一万冊と二万冊の間です」◆廊下に積んでいて根太が抜けそうになり補強したが、傾きは変わらずゴルフボールが転がっていく。二十年ほども前の対談だが、亡くなった時は三万冊に達していたという。古今の万巻から教訓を読み取って、実践したところがまたすごかった◆「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、騒がず、競わず、随(したが)わず、以(も)って大事をなすべし」。東京電力の社長時代、毎朝、この王陽明の言葉と対面してから出勤した。重大決断を迫られた時は「事いまだ成らず小心翼々、事まさに成らんとす大胆不敵、事すでに成る油断大敵」。こちらは勝海舟である◆無私と無心が平岩さんの心がけだった。経団連の企業献金あっせんを廃止するなどの思い切った改革は、この人でなかったらできなかった。その背景に痛烈な戦場体験があったことは間違いない◆先の大戦で六年半も戦場にいた。最後はニューギニアに送られる。四国ほどの大きさの島の端から端まで行軍して、米軍上陸とともに退却した。マラリアと栄養失調で戦友たちが次々と倒れた。百十七人の部隊が七人になった。「生き残るには自然の運とか摂理といったものがあると思った」◆靖国神社には参拝しなかった。戦場の死を知っていたからだ。 「昭和の教養人」が求め続けたのは「平和」だった。

読書家

先日亡くなった元経団連会長の平岩外四さんは財界きっての読書家だった。演出家の浅利慶太さんとの対談で、こんなやりとりをしている。「書籍はどれぐらいお持ちですか」「一万冊と二万冊の間です」◆廊下に積んでいて根太が抜けそうになり補強したが、傾きは変わらずゴルフボールが転がっていく。二十年ほども前の対談だが、亡くなった時は三万冊に達していたという。古今の万巻から教訓を読み取って、実践したところがまたすごかった◆「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、騒がず、競わず、随(したが)わず、以(も)って大事をなすべし」。東京電力の社長時代、毎朝、この王陽明の言葉と対面してから出勤した。重大決断を迫られた時は「事いまだ成らず小心翼々、事まさに成らんとす大胆不敵、事すでに成る油断大敵」。こちらは勝海舟である◆無私と無心が平岩さんの心がけだった。経団連の企業献金あっせんを廃止するなどの思い切った改革は、この人でなかったらできなかった。その背景に痛烈な戦場体験があったことは間違いない◆先の大戦で六年半も戦場にいた。最後はニューギニアに送られる。四国ほどの大きさの島の端から端まで行軍して、米軍上陸とともに退却した。マラリアと栄養失調で戦友たちが次々と倒れた。百十七人の部隊が七人になった。「生き残るには自然の運とか摂理といったものがあると思った」◆靖国神社には参拝しなかった。戦場の死を知っていたからだ。「昭和の教養人」が求め続けたのは「平和」だった。

2007年6月14日木曜日

山東カントリークラブで同期会ゴルフ
















5/13の小豆島旅行のときに、宝塚の田村選手・豊岡の前田選手・芦屋の松岡選手と私の4人で、山東カントリークラブで腕比べをしようとの話が決まりました。前田選手の段取りで、昨日AM9:00に集合し9:26分OUTスタート・競技の開始です。
それぞれ口は達者ですが、玉は思うようには飛んでくれません。結果はとにもかく大変楽しい一日でした。次回も山東CCで8/22(水)に決定しました。
なずな会の皆さん・月曜会の皆さん一緒にプレーをしませんか・・・・・・?希望の方は前田選手へ一報をしてください。   
写真は昨日撮ったものです

2007年6月12日火曜日

杉浦日向子 著 隠居の日向ぼっこ」より


踏み台
古い踏み台の裏には、ある年月日が書いてある。それはその家の竣工年で、その筆跡はその建設にたずさわった、ひとりの若い大工さんのものだった。
高いところにある物を取るために踏み台を使う。踏み台は踏み足継ぎ、踏み継ぎともいい、体の延長として機能する道具である。
今は、アルミなどの軽くコンパクトな折り畳み式が主流だが、一昔前は木製の裾広がりの台形の物ばかりだった。
しかも、それは市販されていない。なぜなら踏み台は、元々、新築家屋への大工さんからの置き土産だったからだ。
「四方転び」と呼ばれる四角錐は、普通の箱を作るように簡単ではない。傾斜した四面が、四隅で角をなし、その上部に乗る踏み板にも、傾斜に応じた切込みを要する。そして、たいてい踏み台の前面には、円い穴、扇面などの切込みなどがあるが、鋸(のこぎり)を滑らかに引き回せてこそ、その装飾となる。
踏み台は、若い弟子へ、親方から課せられた腕試しの仕事でもあった。親方はその出来栄えを入念にチェックし、合格すれば、建て主に竣工の記念として献上する。そしてそれは、ひとりの職人の輝かしいデェビューを証明した。
徒弟(とてい)制度は前時代的として退(しりぞ)けられ、マニュアルをそつなくこなせる能力だけが優先されるようになった。どんなに立派な新築でも、マニュアルには踏み台などは含まれていないから、とうぜん買いに行くほかない・・・・・・・・・・。

「風景を楽しんで走ろう」残酷マラソン


6/9香美町小(お)代(じろ)区の山岳走り抜ける「第15回みかた残酷全国大会」の前夜祭が9日同区の「おじろドーム」開かれた。マラソンやトライアスロンなどのスポーツを趣味とするフォークシンガー高石ともやサンのステージ「よみがえるフォークソング 歌とトークの集い」が催され、大会の雰囲気を盛り上げた。
競技は10日午前9時に、おじろドームをスタート、小(お)代(じろ)中学校運動場までの、高低さ400m、全長24kmのコースを、約千二百人のランナーが走る。

2007年6月11日月曜日

温泉の「かくれんぼ大会」


今年も大盛況 全日本かくれんぼ大会

6/10 湯村温泉町内で晴天の中、「第8回全日本かくれんぼ大会」が行われました。

ルールは簡単、湯村内に隠れている隠れ人(TVのレポーター・浴衣姿・道路内・橋の下などで仮装している人)を「み~つけた」と言うことだけ。隠れ人を連れて行き「奉行所」大会本部でくじを引く。競技は10時スタート80分のかくれんぼです。

仮装大賞もあり、息子も何日か友人と準備していましたが・・・・・・(写真は仮装大賞の仮面ライダー)